こんにちは、りょうです。

霞ヶ浦の生方市観光物産館いこいを出発して、大洗町に向かいます。
ここからは、りんりんロードを離れて、鉾田市へ北上していきます。

大洗への道は、山越えのような大きな坂は無し。

鉾田市を過ぎて、国道51号線に出れば、後は海沿いをひたすら走るだけ。

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やがて大洗の海岸が見えてきました。
沖には北海道航路のサンフラワーフェリーが見えます。

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とりあえず、大洗駅で水分補給。
本当にいつ来ても大洗はガルパンだし、観光客が多い。

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そして、水分補給後にどこか食べに行こうかと思ってぶらついていたら、戦車と遭遇!

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戦車だ!戦車を人が引いている!

実は、この土日は大洗では八朔祭という祭拍子を奏でながら、山車を引き回すお祭りなのでした。

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もちろん、大洗町の一般の方々は普通の山車を引いています。

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大洗町でガルパンのレプリカ戦車を作ってる「日照戦車」さんという所と有志の方々がこの戦車山車を主催しているようですね。

さすが大洗!
大洗の本気を見た…。

戦車のモデルは、ガルパンの作中にも登場する第一次世界大戦でイギリスが世界で最初に作った戦車であるMark IV型!

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うーん。よく雰囲気を捉えています。
が、大きさは本物の3/4ぐらいでしょうか。

たぶんフルスケールだと、スポンソンと呼ばれる大砲の横の張り出しが道路の車線幅に収まらないんでしょうね…。


ということで、久々に恒例のミリタリーよもやま話をいたしましょう!


実は、世界初の戦車登場の遠因は日本にあった?!
と言ったら言い過ぎかも知れませんが、この流れを話す為には、日露戦争まで遡らなければなりません。


日本とロシアの戦争である日露戦争は、一部歴史家に第0次世界大戦と呼ばれているのはご存知でしょうか。


その理由は、日露戦争は当時、近代化した軍隊同士での初めての戦争と言われ、第一次世界大戦の新兵器である飛行機と戦車以外の機関銃や塹壕戦が登場し、第一次世界大戦のモデルとなった戦争だからなのです。

当時のロシアは、ヨーロッパ最大の陸軍国であり、世界を支配していた英国も正面からの衝突を避けていた相手でした。
そうした中、ロシアが支配し難攻不落と言われた旅順要塞を日本軍が攻め落とします。

もちろん日本軍も多大なる死傷者を出しているのですが、その規律ある突撃攻撃で難攻不落の要塞を打ち破る様に、各国とも驚嘆するのです。

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これは敵国のロシアも同様でした。

しかし、旅順を攻略した乃木大将率いる第3軍は、旅順攻囲戦で多くの歴戦の士官、兵を失い、補充された応召兵は兵力の質としては低く、第3軍の実情は厳しいものであったにも関わらず、ロシアは第3軍を旅順を打ち破った精鋭軍とみなします。

旅順後に発生した奉天会戦は、日本軍24万人、ロシア軍36万人の陸上兵力が激突するという世界史上稀に見る規模の戦闘でした。

世界史で有名なワーテルローの戦いが、フランス軍が7万2千人、英蘭連合軍が6万8千人、プロイセン軍が5万人である事を考えるとその規模の大きさが分かると思います。


会戦当初は一進一退、日本軍の損害も大きなものでしたが、ロシア軍のクロパトキンは、戦力的にはまだ余裕があったにも関わらず、第3軍が背後に回る動きを見せると、精鋭軍による包囲殲滅を危惧して撤退してしまい、日本軍の勝利につながりました。


この後の日本海海戦でのバルチック艦隊の壊滅とあわせ、ヨーロッパでは、こうした日露戦争の結果に衝撃を受けます。

どのような衝撃だったを具体的に紹介しましょう。

米国 ノエル・F・ブッシュ(記者)
  「あの海域でアジアの一小国が、地上最大のヨーロッパの帝国をわずか一時間足らずでうち負かしたあの勝利は、アジア人とヨーロッパ人には質的な開きがあるという長い間の神話を、永久に破壊してしまった。そして、むしろ、質的な差があるとすれば、アジア人のほうに分があるとさえ、この勝利は示唆したのである。」



ドイツ  エルウイン・フォン・ベルツ(内科医)
「かくてまたもや世界歴史の一ページが、それも、現在ではほとんど見透しのつかない広大な影響を有する一ページが、完結されたのである。
今や日本は陸に、海に、一等国として認められた。われわれが東亜において、徐々ではあるが間断なく発展するのを観たその現象が、今や近世史の完全な新作として、世界の注視の的になっている。
アジアは世界の舞台に登場した。そしてこのアジアは、ヨーロッパ諸国の政策に、従ってわれわれの祖国の政策にもまた、共通の重大な影響を及ぼし得るのであり、また及ぼすはずだ。ヨーロッパだけの政策は、もはや存在しない。世界政策があるのみだ。東亜の出来事は、もはや局部的な意義をもつものではなく、今日ではわれわれにとって極度に重要な関心事である。これらすべての意義を、世人はいまだに気付かないが、しかし時がこれを教えるだろう」

いや欧米諸国だけでなく、当時の植民地であったアジア、アラブ、アメリカの黒人に対しても価値観がひっくり返る程の影響を与えているのです。

そして、こうした日本軍の強さの原因として、日本軍の突撃精神や犠牲的精神が高く評価され、見習うべき特質として受け取られていきます。

こんな事を言うと、


ま〜たネトウヨが戯言を言ってる!


と思われそうなので、ではこれも当時の海外の記録から引用しましょう。


英国国防委員会「公刊日露戦争史」
「結論として旅順の事例は今までと同様に、堡塁の攻防の成否は両軍の精神力によって決定されることを証明した。」

ドイツのヴィルヘルム二世は、1913年刊行の旅順実戦記「肉弾」を「本書により日本軍の真価を知れ」と言って、全軍に配布した。

フランスのフランソワ・ド・スーグリェ将軍は、旅順攻囲戦は、「精神的な力、つまり克服しがたい自力本願、献身的な愛国心及び騎士道的な死をも恐れぬ精神力による圧倒的な力の作用の教訓となる印象深い戦列」と述べた。

等々。

あまり我々は日露戦争を世界の視点では習いませんが、日露戦争は、ヨーロッパ芸術にたいする浮世絵のジャポニズムのように、欧米諸国にとって大きな衝撃となって、陸、海の軍事面にも影響を与えています。


まさに近代史の流れを変えたと言っても過言ではありません。


この当たり興味のある方は、当時の海外の記録を元に解説してくれるこの本がおすすめですぞ。

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そして日露戦争から10年後の第一次世界大戦において、ヨーロッパの軍司令官達は、この日露戦争の戦訓から、突撃による戦線突破を繰り返していくのです。

しかし、日露戦争に比べ遥かに発達した機関銃と塹壕陣地を前にして多くの犠牲者を出すことになります。


あの合理的思考の欧州で、なぜ第一次世界大戦において、無謀な突撃が繰り返されたのか?

昔から不思議だったのですが、それにはこういう歴史的な背景があったのですね。


一方、日露戦争の日本軍でも、世界最強の騎兵と言われたロシアのコサック兵に対して、日本騎兵隊の秋山支隊は、騎馬隊ながら馬を下りて陣地を構築し、当時最新鋭の機関砲を用いて、コサック兵を撃破しています。

指揮官の秋山好古少将は、日本海海戦の連合艦隊の参謀秋山真之のお兄さんです。昔は柔軟な考えだったんですね。

こうして、日本軍では、突撃してくる敵兵を機関銃で撃破できるという戦訓も一方では得ていたのです。


しかし、その後、第一次世界大戦に本格参戦しなかった日本は、日露戦争からの成功体験から抜け出せず、そのまま第二時世界大戦を迎えてしまい、強力な敵に無謀な突撃を多用して犠牲を増やすことになったのは、皆さんご存知のとおりです。


さて、話を戦車に戻しましょう。


第一次世界大戦で発達した機関銃と塹壕陣地に対し、勇敢な突撃を繰り返していたイギリス軍ですが、膨大な犠牲者数を前にして、

やっぱり機関銃と塹壕陣地に生身で突撃は無理じゃね?

と思うようになります。

そこで、機関銃から身を守りながら、敵の塹壕陣地も破壊、突破する為の新兵器として戦車が開発されます。

当初、この新兵器開発は秘匿され、トラクターとか、貯水槽(タンク)という名称で呼ばていました。

戦車をタンクと呼称するのは、ここから来ています。

そして、1916年9月、フランスのソンムの戦いにおいて、世界で初めて戦車が実戦に投入されました。

写真はMark Ⅰ 型

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最初こそドイツ軍は、機関銃が通用しない機械が前進してくる事にパニックになりましたが、やがて持ち直し、戦車に対する大砲の直接射撃などで対応していきます。

そして、1918年には、ドイツもA7Vという戦車を開発して対抗する事になります。

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そして、第一次世界大戦の末期には、早くも戦車同士の戦いが発生し…、


当初、戦車に装備された砲は、陣地破壊を目的とした榴弾で短砲身なのですが、第二次世界大戦になって戦車対戦車の戦いが主になってくると、徹甲弾の長砲身を装備するようになり……


ああ〜!


戦車の話が止まらなくなる…。



失礼しました!
これ、ロードバイクブログでしたね。




ということで、長くなりましたので、これで一旦終了〜。

次回、大洗町編です!

ちゃんと自転車の話に戻りますw


でも最後に!

因みに、イギリス軍ですが、戦車は開発したものの、第一次世界大戦以来の銃剣突撃が「勇敢さの象徴」としてイギリス人の性にあったらしく、伝統と化してします。

最近では、なんと2004年のイラク戦争において、イギリス軍が、イラク兵に対して銃剣突撃を行い、蹴散らしたとの記録があります。


さすがイギリス…。




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